意識とモチベーション

2007-05-25あるトレーナーの方の言葉。
「肉体や運動能力はいくらでもトレーニングやメンテナンスができるし、その手助けもできるけれど、どうにもならないのが一点だけある。それはモチベーション。これだけは本人以外次第でしかない」
こんなカンジだったような。

たとえば、「発明は、1%のひらめきと99%の努力から出来ている」(←だったか? おおむね間違ってはいないと思うが)というトーマス・エジソンだが、我々一般人からすれば「エジソンは99%に達する努力をできる」と言い換えられる。努力が苦にならない才能、もしくは努力が継続できるモチベーション。
そんな彼がもっとも恐れた男ニコラ・テスラは、エジソンから見れば才能に満ちあふれて、もしテスラが自分と同じだけの努力をしてしまったなら自分を易々と越えることを容易に想像したのであろう。
もし、テスラがエジソンと同じ時代に生きていなかったら、エジソンはあれほど多くの発明はしていなかったかも知れない。
モチベーションとは、時間、人生、仕事、勉強、趣味、遊び、そのほか人を取り巻くことの濃度を変える大きな要素であると言える。もちろん自転車においても同じで、「速く走りたい」「遠くへ行きたい」という意志・志向・意識が強いほどトレーニング効果は高まる。
スポーツでは、願いは強いほどそれが現実となるのだ。
「175bpmは高いのではないか?」という質問を受けたのだが、その通りだと思う。心拍だけでいうなら、おそらく鍛えたアスリート並みであろう。
ある程度の高心拍に耐えられる心臓を生まれながらに持っているというのもあるのかも知れないが、動機付けなしには170台中盤以降の心拍を維持して何時間もの運動をし続けることは不可能だ。
自転車に乗っている距離と時間は短いが、「速く走りたい」という意志だけは選手と同等だと自負している。
結論。
「強い意志は高心拍の持続を可能とする」
たとえ自分のAT値が把握できていたとしても、実際にそれを維持することはとても難しい。事実、オイラも普段のツーリングでは、とてもではないが175bpmの心拍で走り続けることなどできやしない。そんな負荷に対する心の準備がないからだ。
しかし心さえあれば、その心が折れなければ、AT値を維持して運動を持続することが可能となるのだ。(続け)。
(CUB)

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